4月19日、桂枝雀さんがあの世へ旅立たれて今日で十年になりました。
落語について、人生最初の記憶をまさぐりますと。
日曜の夜、父が寝床で、ラジオの演芸番組をつけていました。
その番組は初めに漫才、それから犬猫漫談など色物のような賑やかなもの、最後に落語という構成。
幼いわたしはゆめうつつで、落語のお仕舞いまで聞いていられないことも多く、そのせいか落語はどこか別世界にいざなうからくりのように思えます。
今でも眠れなくなれば、枕元で落語をかけます。幼い記憶をたよりにして。
もう少し大きくなると漫才に夢中になりました。
学生時代などは難波の劇場まで足しげく通ったものです。
テレビで落語をやっていればじーっと見ましたし、落語会へ出かけた友人の話も羨ましく聞きました。
けれど、落語は年をとってからの大人の愉しみにとっておこうと、なぜか考えていました。
その通り、大人になって落語を好むようになりました。しかし、十年ほど遅かったのです。
とうとう、なまで枝雀さんの高座を観ることはかないませんでした。
「爆笑王」枝雀さんは今なお圧倒的な人気。色あせることがありません。
枝雀落語の登場人物たちは、いやらしいひともブサイクなひともやかましいひとも意地悪するひとも、みんながみんな魅力的です。
それはひとえに、枝雀さんご自身が登場人物をこよなく好きでいらっしゃるから。噺のさいちゅうに誰よりも枝雀さんご本人がまず、登場人物と出逢うのを謳歌なさっているように感じます。
枝雀さん曰くの「落語のくに」。
「落語とはなんですか」とのインタビューに答え(すごい質問だ・・・)、「落語は、おはなしですな」とおっしゃる桂米朝さんや、いわゆる口承文芸としての昔ばなしについて語る小澤俊夫さんのお言葉を思い出します。
たとえば、「次の御用日」の丁稚の常吉が好きです。おなごし(女中)のお清どんがお芋さんの太鼓の大きいとこを入れてくれると主に話す常吉、嬢やん(とおやん)のお供をする道中「黙ってお歩き」と怒られつつからかうのを止めない常吉、「(これからお遣いに参りましたらすぐに帰って参りますし、御膳も早よいただきまんので)どうかご了見なしとくれやす」とお奉行さんに泣きそうな面持ちで訴える常吉。どの場面も男の子特有の憎たらしさや可愛らしさに溢れています。
たとえば、「代書」の松本留五郎が好きです。留は、ほんまにどんならんたよんない。この上ない愛すべきあほです。
たとえば、「高津の富」で「ねー(子)の、ねーの」と繰りかえす男。
たとえば、「三十石 夢の通い路」の売り子の売り口上、船頭さんの舟歌。
耳に心地好く、最近ではよく音楽がわりに部屋に流しています。
枝雀落語で感じるのは、リアリティというよりイキイキと生きている躍動、律動。なにか脈打つもの。
枝雀さんが言ってらした、落語とは「生きててよかったなァと思って貰うもの」そのものなのでしょうね。
いやはや、なにせ毎日のように聴くもので、あろうことかおっとが枝雀さんにヤキモチを焼く始末。まあ、こういうゴチャゴチャ含めて「生きててよかったなァ」と思うものでしょうか。
早過ぎる死を惜しんだり、円熟した将来を見られない悲しみがないわけではないけれど、あまりメソメソはしたくありません。そのぶん残された録画物、録音物でめいいっぱい笑わせてもらおうと思います。
それに、枝雀さんが後世に遺したものを、現在の噺家や今後の噺家さんに見出し、大事に見届けたいと思います。
いつかあの世へ行ったならば「地獄八景亡者戯」よろしくあの世の寄席にておがめることを期待しつつ、本日はこの世の一隅より想いを馳せることにいたします。
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そういえばイラクなどアラブ諸国では、「ヌクタ」と呼ばれる小噺の類が好んで話されますね。
ヌクタは、落語とも講談とも異なりますが、一般に伝わるいわゆる昔ばなし、小噺ですかな。
イラク人が集まれば民謡が始まるのは、一昔前の日本でいう都々逸(どどいつ)とかでしょうか。
日本では都々逸はめったに聞かれなくなりました。
どの地域でも、このような口伝えの古いものが末永く広まることを祈ります。
(枝雀さんは英語落語まで開発されましたから、イラクなどに広まってもいいですね。)
老若男女を問わず笑い合えるということは、誠によろこばしいことでしょうから。